「誰とやるか」を大切に。 仲間と共に「RRJらしい」 会社であり続けること。

RRJグループ代表

橋満 克文

Interview

01

22年の歩みを振り返って

RRJは22年間、主にシステム会社として仕事を続けてきました。今あらためて振り返ると、どんな22年だったと感じますか?

ずっと必死だったので、振り返る時間が実際になかった、というのが本当のところです。

長く勤めてくれている人たちはわかってくれていると思うんですけど、今まで自分のことをあんまり言葉で語ってこなかったんですよね。この22年を振り返ると、とにかく必死に仕事をしてきた感覚があります。 楽ではまったくなかったですね。

「楽ではなかった」というのは、特に最初の頃ですか?

そうですね。特に最初の2年のことは、ちゃんと知っておいてもらいたいんです。

当時母はまだ生きていて、僕は学生時代からずっと仕送りをしてきました。 家に借金がたくさんあったり、生活費が足りなかったり。母ががんになって、ずっと闘病していたので、その医療費も含めて仕送りし続けないといけなかった。 でも、起業した最初の2年は、その仕送りを止めないと、もうやれなかったんです。

母には申し訳ないけど、「ここから勝負しないと、サラリーマンの給料じゃ支えきれない。仕送りを止めて、ちょっと勝負させてほしい」と言って、小川君たちと一緒に起業した、という経緯があるんですよね。 そうしたら、母は大阪で空き缶を拾って屑鉄屋に持っていき、お金に換えて、仕送りがない状態でも暮らしていたんです。闘病中にですよ。 そういう苦しい思いを母にもさせてしまった。

自分自身も、会社に住みながら起業していました。 自分が安全地帯にいて、部下に聞こえのいいことを言っても何も響かないだろうという思いもあったし、自宅を借りるお金があるなら、なんとか自分の給料を少しでも捻出して家に送りたかった。 そういう時期がだいたい7年くらい続いたと思います。

そんな時期に、小川君、秋葉君、熊谷君、小池君という大事な創業役員が、一緒についてきてくれました。 僕が寝泊まりしていた場所も見ているので、苦労していたことは絶対に知っている。 それがあるから今も仲がいいし、その関係が今のところ、22年続いている。

彼らも、心地よく開発ができていたわけじゃないと思うんですよね。 実際にお金を稼ぐ現場に張り付いていたのは彼らだったから。 そういう体制で、なんとか必死でやってきた、というのが今の僕の感覚です。

苦労を共にしてきたからこその信頼関係なんですね。

会社経営をしていると、本当はみんなに好かれたい。 従業員みんなに好かれたいし、優しいことをずっと言い続けたい。 でも、それをやっていたら会社の運営がままならないんですよね。

だけど、小川君たちには好かれていてほしい。次の未来をつくる人たちだから。 だから僕は嫌われ役でいい、とどこかで腹を決めているんです。これは僕がプロだからですね。 経営者という職業として、厳しい側面を持っておかないとダメで。 うちのカルチャーやRRJとしてのルールを逸脱したり、守れない人が出てきたときには、優しく追い出すこともしている。 正直、あんまり伝えたくないことなんですけどね。 ただ、「うちの会社にいてくれる」以上はギリギリまで守る、という行動はしてきました。そのバランスを一生懸命やってきた22年です。

私は2026年の8月で7年目になるんですけど、それでも知らないことがたくさんあるなと、今のお母様の話を伺って思いました。

ありがとうございます。気づいたら一生懸命やっていて、今になっていた、という感じですよね。 ただ、目的としては「50年は自分の責任である」と思いながらやってきているので、まだ22年は途中なんですよ。

目的としては「50年は自分の責任である」と思いながらやってきているので、まだ22年は途中なんですよ。
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